一通り聞き出し、靴をシューズボックスに入れ、玄関近くの寝室で息を潜めて馬鹿男を待つ。
明かりを消した寝室で待っているうちに、何故か涙が止まらなくなった。
悔しくて、情けなくて。何より俺を信頼して娘を預けてくれた彼女の両親に申し訳なかった。
リビングで彼女の携帯が鳴る。「もしもし……うん……大丈夫、上がってきて」
おそらく『エントランスに着いたけど、部屋に行っていいのか』みたいな事だろう。
程なくして部屋のチャイムが鳴った。彼女がパタパタと小走りで玄関へ向かう。
鍵が開く音。ノブを捻る音。ドアが開く音。この音は今も鮮明に覚えている。
そして下品な声。「おーいw服着てんじゃんw」電話の声の主に間違いなかった。
「やめて」彼女のたしなめる声。俺が冗談でムネをさわったりするとこう言われていたのを思い出した。
短い廊下を歩き、リビングのドアが開いた音が聞こえ、俺は寝室から音を立てずに出る。
リビングからは下品な声の笑い声が聞こえる。さっきの電話で沸き上がった怒りが再燃する。
リビングのドアを開け、男の顔を見る。大学の部活の後輩だった。
「あれぇ?◯◯さん、なんでいるんすかぁ?」間の抜けた声の質問。
後輩を無視して、彼女に訊く。「こいつ?」こくりと頷く彼女。
「え?なんすか?意味分かんないっすよw」頭の悪そうな声の感想。
彼女を指差し後輩に告げる。「俺の婚約者」後輩の顔が引きつる。彼女は少し嬉しそうな顔をした。
「ごめん、間違った。俺の元婚約者」二人とも同じように顔が引きつった。
それから、明け方まで後輩を尋問。
供述内容はほぼ一緒。してる途中に「死んじゃう」と言いながら、
彼女が急に動かなくなったから、死んだと思って逃げたらしいが、
あとあと冷静に考えたらそんなはずもなく、電話したりメールを送ってみたらしい。
彼氏の愚痴は聞いていたが、それが先輩だとは思わなかった。
「知らなかったんすよ!マジすいません!」と土下座して来たが、
その頃にはもう制裁は決めていた。
朝イチで上司に連絡し、休ませてもらい、彼女と後輩を連れ彼女の実家へと向かった。
彼女の父親にも会社を休んでもらい、ご両親に事の報告と、婚約を破棄したい旨を伝えた。
母親は「一度くらいの過ちで…」と言っていたが、それを聞いた父親に
「お前にはその過ちがあるのか?」と問われ、以降話し合いに参加しなかった。
その後、父親は力一杯座卓を殴り「◯◯くんにどんな不満があったんだ!」と怒鳴った。
ボソボソと思いついた理由を列挙する彼女にテレビのリモコンが投げつけられ、
タバコが投げつけられ、湯のみを投げつけようとした時にしょうがなく制止した。
父親はなおも敵意剥き出しで彼女と後輩を睨みつけ「◯◯くんにどう落とし前を付けるんだ!」
と凄み、完全に萎縮した彼女と後輩は長年連れ添った夫婦のように揃って土下座をした。
「では、仕事がありますので」と一言残し、車に乗り込んで部屋に戻った。
大学の後輩を総動員して、自分の荷物だけを全て貸し倉庫に移し、
その足で不動産屋に行き、部屋の解約をして、新居も見つけ、会社の寮へと泊まった。